「Vてはいけません」「Vないでください」の練習問題
日本語教科書の『定番』であり、現時点でもおそらくは最大シェアを誇ると思われる『みんなの日本語 初級Ⅰ』の第二版が2012年に発行され、引き続き初級Ⅱや副教材なども第二版になりつつある。
文法シラバスに基づいたテキストであり、コミュニカティブアプローチや会話、タスク、Can Do主体の授業にしようとすれば必然的に工夫が必要になるが、「教科書《を》」教えるのではなく「教科書《で》」もしくは『教科書《も使って》』教えるのだと考えれば、確かによくできた文法テキストだと思う。
ただ、気になる点もある。たとえば、15課「~てはいけません」と17課「~ないでください」の練習B(文型を使った代入練習)が同じような設定になっており、この練習だけでは、学習者には二つの文型のニュアンスの違いが理解できない。
15課練習B(p129)より引用
17課練習B(p147)より引用
助詞「で」と「に」の違いについては、今回は問題としない。
例は異なるものの、制止されている内容は「撮影」「スポーツ」「駐停車」「立ち入り」の4つであり、サッカーと野球が違う以外はまったく同じ絵が使われている。このことが問題だと思う。この練習で、「Vてはいけません」と「Vないでください」の使い分けができるだろうか。もちろん、できなくていいという考え方もあるだろう。しかし、
- 「Vてはいけません」は、ルール・規則として禁止されている。実際にはその行為に及んでいない場合にも使われる。一般的規則を伝達する表現である。
「この美術館では、写真を撮ってはいけません(そういうルールです)」 - 「Vないでください」は、ルール・規則があるかもしれないし、ないかもしれないが、とにかく現況において行わないように要請している。目の前の行為を制止することが多いだろう。未然の行為についてはお願いの気持ちが強い。
「わたしの写真を撮らないでください(他人の写真を撮ってはいけないという規則はないが、いやなのでやめてください)」
という違いについては、この練習では理解できない。
特に「禁煙」「駐停車禁止」「駐輪禁止」「立ち入り禁止」については看板に×や斜線が入っている。これは、「~てはいけません」という規則の提示であって、「停めないで」「吸わないで」をお願いしているという状況ではない。したがって、17課でこれらの絵を使って練習するのは不適といえる。
また、写真やスポーツの禁止/制止については、どちらの状況なのかがわからない。どちらでも使えるとも言えるが、どちらでも不十分とも言える。
教師がうっかりこの絵を流用して練習問題やテストを作ってしまうと、たとえば禁煙の掲示に対して「( )いけません」「( )ください」というような二つの文を穴埋め作成させるようなこともあるかもしれない。あるいは、「煙草を吸ってはいけません」→「煙草を( )ください」への置き換えを練習させる教師もいるかもしれない。しかし、それでは変換練習としてはいいとしても、理解としては不十分だと思う。
たとえば、こんな例文はどうだろう。
「ここは煙草を吸ってはいけないんですが、今日だけはいいですよ。でも灰は落とさないでくださいね」
ルールとしては不可だが、許可される場合もある。「ないでください」は具体的な行動をお願いする表現となる。ここを「灰を落としてはいけません」と表現してしまってはおかしい。というのも、(煙草を吸った結果)「灰を落としてはいけない」というルールがあるのであれば、そもそも「煙草を吸ってはいけない」というルールと矛盾するからである。
- A:「私がいいというまで席を立ってはいけません」(試験会場の注意事項?)
B:「私がいいというまで席を立たないでください」(ちょっと待ってくださいね) - A:「ここで煙草を吸ってはいけません」(条例で路上喫煙は禁止されています。喫煙所で吸ってください)
B:「ここで煙草を吸わないでください」(子供や嫌煙の人がいるので、ちょっとご遠慮くださいね) - A:「ここに車を停めてはいけません」(駐停車禁止区間です)
B:「ここに車を停めないでください」(今から車を出そうと思ってるんで、車庫の前に停めるなよ) - A:「ここでサッカーをしてはいけません」(公園内での球技は禁じられています)
B:「ここで野球をしないでください」(子どもたちが走り回っているので危ないんです。ご遠慮ください)
このように例を考えていくと、15課「~てはいけません」は標識や「禁煙」掲示など「ルールとして不可」である図が使える。つまり、15課の練習Bの絵はこのままでもいいだろう。しかし、17課では、だれかがやろうとしていることを制止しているという状況の絵が望ましいと思う。
- A:「道路に飛び出してはいけません」(あぶないですからね)
B:「道路に飛び出さないでください!」(あぶないっ!) - A:「電車から降りるときに他の人を押してはいけません」(常識として)
B:(電車から降りるときに)「押さないでください!」
このニュアンスの違いを伝えることは、決して難しいことではないと思う。
もちろん、「ルールとしてしてはいけないですから、しないでくださいね」という状況もありえるだろう。その場合は「てはいけません」でも「ないでください」でもいいということになる(くどい表現になるが、「条例で、喫煙所以外では煙草を吸ってはいけませんから、路上で煙草を吸わないでください」という場合など)。その場合は「どっちでもいい」ということになるが、「どっちでもいい場合がある」からといって「区別をしなくていい」ということにはならない。むしろ、教室では、「こちらしか使わない場合」から導入し、理解が進んだ時点で「どちらでもいい場合」を教えた方がいいだろうと思う。
この禁止・許可の表現については、「てもいいです」「なければなりません」との区別も重要になってくる。これについては別項にて。