違いのわかる日本語――日本語教師の日本語メモ

日本語学校で教えている日本語教師の備忘的メモです。学術的な正確さは保証の限りではありません。このブログの記載は、勤務先の日本語学校の見解ではありません。随時修正・追記します。

首相夫人・安倍昭恵氏の「参拝したが観光していない」は日本語的に成立しない

首相夫人が宇佐神宮に参拝し、セミナーに参加したが、観光はしていない(し、三密を避けていたからセーフ)という首相答弁は、日本語的には成立しない。

  安倍晋三首相の妻・昭恵氏が新型コロナウイルス対応の改正特措法が施行された翌日の3月15日に大分県の神社を参拝していたことについて、安倍晋三首相は衆院厚生労働委員会で「参拝以外は特に観光などは行っていない。参拝時に限って、あえてマスクを外したということだった」と説明した。 

 首相は昭恵氏の参拝について「団体のツアーに参加したものではない。参拝のみ団体と合流した」と強調した。「事前に本人より聞いていた。『3密とならないようしっかり気をつけてもらいたい』と申し上げた」と説明した。

 本稿では、「参拝」および「セミナー参加」が「観光」に含まれるか否かを日本語の意味的に考察する。

「観光」「参拝」「セミナー参加」の意味を忖度・斟酌する

どうやら、安倍首相は「観光」という言葉を「物見遊山」とか「行楽」すなわちレジャーとしてのお楽しみの旅行というふうに使っているように思われる。

まず、宇佐神宮への「参拝」はどういう行為か。「参拝のみで観光していない」ということだが、首相の発言を最大限忖度・斟酌するに、これは八幡神の本拠地ともいえる聖地宇佐神宮を訪問し、宗教的活動を行ったという趣旨ということになろう。つまり、宗教行為であってお遊びではないということだ。

次に、超高次元医療を標榜し、ドクタードルフィンと自称する人物のセミナーに参加したという。

せっかくの宇佐神宮なのだから卑弥呼より八幡神が降臨してくれてもいいと思うのだが、ともあれ、これもスピリチュアル的な講演ということで、「宗教行為」もしくは「学習」であると位置づけていいだろう。

すなわち、安倍首相に忖度してその発言を解釈すれば、「妻が宇佐に行ったのは宗教的行為および学習のためであって、決してお遊びの観光などではない。だから、この旅行を責められるいわれはない」という意味になるだろう。

しかし、その言い訳は成立しない。

厳密な「観光」の意味

【観光】[名](スル)他の国や地方の風景・史跡・風物などを見物すること。「各地を観光してまわる」「観光シーズン」「観光名所」
[補説]近年は、娯楽や保養のため余暇時間に日常生活圏を離れて行うスポーツ・学習・交流・遊覧などの多様な活動をいう。また、観光庁などの統計では、余暇・レクリエーション・業務などの目的を問わず、1年を超えない非日常圏への旅行をさす。(デジタル大辞林

厳密に言えば、どこからどこまでが「観光」で、何が「観光ではない」という線引きについては、微妙に曖昧なところがある。「見物」という語義でいえば、確かに安倍首相的な用法もありえるかもしれないが、やはりそこに違和感を覚える人がおおいのは事実である。

 

ただ、「厳密な定義がないのだから、首相夫人の参拝は観光ではない」と言う人がいるかもしれないが、そんな乱暴な話にはならない。ある程度の共通認識は存在している。観光学における観光の定義『観光学を学ぶ人のために』序章では以下のように記されている。

 わが国の観光の公的な定義としては、1970年の観光政策審議会が内閣総理大臣諮問に対する答申の中で規定した「観光とは自己の自由時間(=余暇)の中で、鑑賞、知識体験、活動休養、参加精神の鼓舞等、生活の変化を求める人間の基本的欲求を充足するための行為(=レクリエーション)のうち、日常生活圏を離れて異なった自然、文化等の環境のもとで行おうとする一連の行動をいう」とした表現があった。さらに1995年に新たな答申を行うにあたり再検討され、「余暇時間の中で、日常生活圏を離れて行う様々な活動であって、触れ合い、学び、遊ぶということを目的とするもの」と定義された。この定義の中で用いられている「様々な活動」すなわち観光活動については、特定することは極めて難しいといえよう。「触れ合い、学び、遊ぶということを目的とするもの」の文面からビジネス即ち「商用旅行」は除外されると読み取れるが、2000年度版「観光白害」では「兼観光」という言葉が用いられており、楽しみを兼ねる商用旅行の存在も認められている。
 一方で、国際観光の分野では「商用の活動」も含まれている。国連世界観光機関(UNWTO)では観光(tourism)を次のように定義している。
"Tourism comprises the activities of persons traveling to and staying in places outside their usual environment for not more than one consecutive year for leisure, business and other purposes.”
 この定義の日本語訳としては次のようになるであろう。「観光とは、継続して1年を超えない範囲で.レジャーやビジネスなどの目的で日常生活環境以外の場所に旅行し、滞在する人の活動を指す」。また観光庁が実施している「訪日外国人消費動向調査」では来訪目的に「業務」という項目があり、商用も含めての調査となっている。観光の研究や調査をする場合に、この観光や観光客の定義が重要になってくることはいうまでもない。そのために観光庁では「観光立国推進基本法」に基づいて観光に関する統計の整備を実施している。観光客に関しては、国連世界観光機関を中心に標準化が推進されているとして以下のように定義し、統計資料として整備、集計し始めた。それによると観光客の定義としては「ビジネス.レジャーあるいはその他個人的な目的で、1年未満の期間非日常圏に移動する旅行者」とし、「国内居住者の国内観光(domes-tic)、国外の居住者の国内への観光(inbound)、国内居住者の国外への観光(outbound)を区別する」としている。また、宿泊客旅行に関しては「自宅以外で1泊以上の宿泊をする全ての旅行」、日帰り旅行は「片道の移動距離が80km以上、又は所用時間(移動時間十滞在時間)が8時間以上の非日常圏への旅行」としている。観光がわが国の重要な産業の構成要素として認識されつつある状況の中で、ようやく観光の概念力潅理されつつあるといえよう。
 以上のことから、本書なりに観光を一言で表現するなら、日常の居住地を離れ、飲食や鑑賞、体験をすることであるといえるだろう。また観光は広い意味での「観光客」や「旅行者」、非日常体験をする観光地などの観光対象となる「観光資源」、それらをサポートする観光産業や交通手段も含めての「観光関連産業」、そして観光客を受け入れる「地域社会」等によって構成されている。居住者が観光を意識する要因は、その人の経験や日常生活にある内部的要因やマスコミやネットからの情報アクセスや施設の話題性などの複合したものであり、それらを支える観光産業や施設そして観光資源や地域社会の歴史.風土・産業も多彩である。またそれらは技術革新や意識変化などにより時代とともに変化している。

 日常の居住地を離れ、飲食や鑑賞、体験をすること。その「非日常体験」の中には、「触れ合い、学び、遊ぶということを目的とするもの」が含まれる。宇佐神宮への参拝、およびスピリチュアルな講師のセミナーへの参加はいずれも「観光における非日常体験」であると断定できる。

宗教ツーリズム

 宗教的行為は観光に含まれないと主張する人がいるかもしれない。しかし、ただ寺社に参詣するだけの「旅行」をした場合、それを観光と言わないか。一般的な感覚からいっても、それは観光である。「伊勢神宮にお参りしてきましたが赤福を買わずにそのまま帰ってきたので、これは観光ではありません」という人がいたら、明らかにおかしい。普段行けない地域に住んでいる人が「靖国神社に参拝してきました」「日光東照宮にお参りしてきました」というのであれば、明らかに観光である。

  また、「宗教ツーリズム」(聖地巡礼)についても近年研究が進んでいる。聖地を訪れる行為はツーリズム(観光)に含まれている。

 東京を離れて別府・宇佐でおこなった宗教的行為も、セミナー参加も、明確に「観光」であることは言うまでもない。

参拝・学習は「観光・レクリエーション旅行」に含まれる

観光庁の「旅行・観光消費動向調査」の調査票では、旅行の目的について3分野に分けている。

  • 観光・レクリエーション旅行
  • 帰省・知人訪問・結婚式・葬式等への参加
  • 出張・業務旅行

以上の3分野を見る限り、「旅行」という大きな括りの中に狭義の「観光」が含まれることになる。

三つ目の「出張・業務旅行」は仕事としての旅行であるが、実際には「観光することが業務の一部」という「兼観光」も存在している。安倍昭恵さんは私人であり、業務として参拝や学習を行ったわけではないから、ここには該当しない。

二つ目の「帰省・知人訪問・結婚式・葬式等への参加」について、ドクタードルフィンに私的に会いに行ったというならともかく、ドクタードルフィンのイベントの一部としての参拝・学習に合流したというのであるから、これも該当しない。

つまり、安倍昭恵さんの3月15日宇佐行きは、観光庁の「旅行・観光消費動向調査」においては、「観光・レクリエーション旅行」に該当する。極めて狭義の「観光」つまり物見遊山や行楽ではなかったとしても、「レクリエーション旅行」であることは間違いない。

週刊文春記事によれば、「コロナで予定がなくなっちゃったので、どこかへ行こうとは思っていた」との理由で参拝を決めたという。明らかにレクリエーションとしての観光にほかならない。

そして、首相は、三密でなければ旅行していいというふうには国民に対して言っていないはずである。妻はいいが国民はダメ、というなら反感しか生まない。宇佐神宮参拝が観光か否か以前の問題である。