伝聞の「そう。」が急増している
伝聞+「そう。」
という形の言い切りがコラム記事などで急増しているように思われる。
机にバラけて混ぜ混ぜする原始的方法ながらに1分執念で続ければ教授のテストをクリアするぐらいには混ざるのだそう。
国立天文台によると2015年4月4日の皆既月食は、皆既食だけでなく部分色のはじめから終わりまでを日本全国で見ることができるのだそう。
(いずれも下線部強調は引用者)
ここは本来「混ざるのだそうだ。」「見ることができるのだそうです。」のように、語末に断定の言葉が来なければならない。
何でもネギには抗菌・殺菌作用のある成分が含まれていて、喉の炎症を抑える効果があるのだそうです。
「○○そうだ/そうです」には2種類あり、様態をあらわす場合は「○○そう。」と言い切ってもかまわない。しかし、伝聞の場合は「そう。」が使えない……というのがこれまでの用法だったのだが、どうもここ数年で「伝聞+そう。」の言い切り形が増えているように思われる。詳細は続きで。
様態と伝聞
この2種類の「そう」の違いは、『みんなの日本語』初級テキストでは
- 様態の「そうです」:43課
- 伝聞の「そうです」:47課
で出てくる。つまり、初級後半で学ぶ文法項目ということになる。この初級表現が、コラム系ニュースサイトや旅行雑誌などで崩されているというのは、「日本語の乱れ」なのかそれとも「日本語の変化」なのかという点では議論もあろうが、「従来の規範と異なる表現が現れている」という点では注目に値すると思う。
様態の「そうです」
【接続】
- 様態の「そうです」は、動詞ます形、イ形容詞の語幹(「い」を取る)、ナ形容詞の語幹(「な」を取る)に接続する。名詞には接続しない。
- この場合、「~そう。」と切ってもよい。
- 「そうです」自体がナ形容詞的に使える。「雨が降りそうな天気」「寒そうにしている」「元気そうで安心しました」等。
【意味】
- 動詞マス形+そうです:あと少しで発生すると思われる(が、今はまだそうなっていない)事態を表現する。
雨が降りそうです。/雨が降りそう。←雨が降ってはいない。
鉛筆が机から落ちそうです。/鉛筆が落ちそう。←落ちてはいない。
疲れて死にそうです。/疲れて死にそう。←死んではいない。 - イ形容詞・ナ形容詞語幹+そうです:実際に確認はしていないが、ぱっと見でそう思われる様子を表現する。
外は寒そうです。/外は寒そう。←寒いかどうか確かめてはいない。
エレナさんは楽しそうです。/エレナさん、楽しそう。←本人に聞いてはいないが表情がにこやかなのでそうだと思う。
この料理はおいしそうです。/おいしそう!←一口食べた後には言えない。
今日は元気じゃなさそうですね。/今日は元気じゃなさそう。←「ない+そうです」は「なさそう」になる。
※「イ形容詞・ナ形容詞語幹+そうです」では、見た目そのものをあらわす言葉(見たらわかること)は使えない。したがって、「きれいそう」「美しそう」は不可(きれいかどうかは見ることで確認完了だから)。
※学生によくある間違い。「あなたはかわいそうですね」←「かわいい」と言いたい。誤りポイント①=「かわいそう」は別の単語。誤りポイント②=「かわいい」は「見ればわかる」ことだから、「様態のそうです」は使えない。
伝聞の「そうです」
【接続】
- 様態の「そうです」は、動詞普通形、イ形容詞+「い」、ナ形容詞+「だ」、名詞+「だ」に接続する。
- 「~そう。」と切ることはできない。
- 「そうです」自体の活用は極めて限定される。「×元気だそうで安心しました」は使えるが、「×雨が降るそうな話」「×寒いそうに思われます」等は不適。
【意味】
- 動詞普通形+そうです:誰かから聞いた話。
(天気予報によれば)雨が降るそうです。(非過去)
(キミーさんの話によれば)テレビが台から落ちたそうです。(完了)
(松本さんの話によれば)桜が咲いているそうです。(現在) - イ形容詞+い・ナ形容詞+だ・名詞+だ:誰かから聞いた話。
(外へ行ってきた鈴木さんによれば)外は寒いそうです。
(本人に聞いたところ)エレナさんは楽しいそうです。
(彦摩呂によれば)この料理はおいしかったそうです。
(報告によれば)子どもたちは元気がないそうです。
(政府によれば)日本の人口は今後も減りそうだそうです。(「そう」のコンボ)
※「新垣結衣はかわいいそうです」「富士山は美しいそうです」「この部屋はきれいだそうです」も使える。誰かから聞いたことであれば成立する。
伝聞の「そう。」の蔓延
以上のように、様態の「そう。」と伝聞の「そうだ。」は大きく性質が異なるのだが、最近は「伝聞+そう。」と言い切る形がよく見られる。個人的には舌足らずな表現に感じられるし、現在もこれが規範とはなっていないように思われるため、外国人留学生にこのような表現を使うように薦めたくはない(ただし、上級で生教材としてコラム等を読むときにこの表現が出てきたら、以上のような解説をつけた上で、理解表現として扱うことはありえる)。
ただし、この表現が発生した理由を、わたしは以下のように推測している。
- おなじ「そうです。」で、様態の場合は「そう。」と言い切ることができるため、「伝聞でも言い切っていいのではないか」と規範拡大する人が出てきた。
- 動詞・形容詞・名詞等への接続が、様態と伝聞でまったく異なるため、「そうだ。」と「そう。」で区別しなくても意味の違いが判別できてしまう。「食べそう。」と「食べるそう。」で意味の違いがわからない人はいない(後者には違和感がつきまとうが、意味は伝わる)。
- 個人的な見聞の範囲だが、この表現が女性向けの軟らかい文章(コラムや旅行ガイド等)から発生したように感じている。女性向けの文章では、「だ」で言い切るのは乱暴に感じられ、「です」ではよそよそしい。そのため、「老舗の料理はとってもおいしそう!」という文に並べるには、「このお寺は400年前に建てられたそうだ。」「400年前に建てられたそうです。」では文体が合わず、「400年前に建てられたそう。」という、規範から外れた表現をあえて選ぶ意識が出てきたのではないか。
2番目の理由については結構重要だ。今回の事例とは逆に、「同じ形なのに意味の違いがある場合、新しい形を作り出す」という場合がある。有名なのは「ら抜き言葉」で、従来は「食べられる」で可能・受け身・尊敬の3つの意味を同時に扱っていたが、最近のら抜き言葉「食べれる」で可能を別の形として表現し分ける流れが出てきている(「食べれる」を受け身や尊敬で使うことはない)。これは、単純な「言葉の乱れ」というより「合理化」だとも考えることができる。
一方で、意味上の混同がなく、しかも形の違いが残っている(食べそう/食べるそうだ)場合に、共通部分をやや増やす方向に変化することも、また自然なのかもしれない。
わたし自身は「伝聞+そう。」を使うことはおそらく今後もないだろうが。
だれか修士論文でこの件を追究してみてください。