違いのわかる日本語――日本語教師の日本語メモ

日本語学校で教えている日本語教師の備忘的メモです。学術的な正確さは保証の限りではありません。このブログの記載は、勤務先の日本語学校の見解ではありません。随時修正・追記します。

遅く返信します/先生はすごく助けてくれた

この数日に実際に来たメールより。一通目はフランス人卒業生。

メール遅く返信して本当にすみません。
 
とにかく先生はすごく助けてくれたので本当にありがとうございました。

二通目はベトナム人学生。

ごめんなさい ちょっと遅いです
宿題は遅く送ります!

まったく接点のない二人から「遅く送信する」「遅く送る」という表現が立て続けに来たので面白く感じた。これは母語の干渉というより、日本語の特性ということになろう。

あと、先生が尽力したことに対して「助けてくれた」という表現を使うのも、母語を問わずよく見られる表現である。

 遅く返信する/遅く送ります

日本語母語話者であれば「返信が遅れて」または「返信が遅くなって」申し訳ありません、と言うところだ。もちろん、文法構造的には「宿題を遅く送ります」「メールを遅く返信する」も間違ってはいない。ただ、「遅くVする」と「Nが遅れる/Nが遅くなる」には意味・ニュアンス上の違いがある。言い換えれば、「遅くVする」には「Nが遅れる/Nが遅くなる」の意味は(ほとんど)含まれない*1

「Nが遅れる/Nが遅くなる」のは、「本来の期日よりあとになって行動を行う」という意味である。毎朝どこかで「電車が遅れる」のは、本来のダイヤよりもあとになって駅に到着するという表現である。ただし、ここで取り上げたい形と「電車」はうまくあわない。電車は単純な物体だが、「返信」は動詞にもなりうる名詞(あるいは、動作を表現する名詞)という違いがある。

改めて、「Xすることが遅れて」「Xすることが遅くなって」の形で考えるとしよう。「宿題の提出が遅れて」「宿題を提出するのが遅くなって」――この形と「宿題を遅く提出して」では、やはり意味の違いがある。「遅く提出する」では「期日」の縛りがない。「テストができた人から、提出して帰ってもいいですよ」というときに、「クラスの中では遅く提出したので、もう教室にはほとんど誰もいなかった」と言えば、別に期日よりは遅れていない。

「遅れる」と「遅く」は確かに語形が異なるが、「○○するのが遅くなる」と「遅く○○する」でニュアンスが大きく異なるのは面白いところである。そして、日本語としては、特別な場合を除いてはあまり「遅く○○する」とは言わない。

「~が遅れる」「~が遅くなる」は、状態を表す表現である。一方で、「遅く~する」は積極的な動作を示す表現である。宿題の提出が遅れたというのは、過失であったりうっかりであったり、あるいはなかなかやる気にならなかったり、といったことが原因で、結果として遅れることになってしまったのだろう。だとすれば、「積極的に遅らせた」かのようなニュアンスを持つ「遅く~する」が合わず、状態である「遅れる」「~が遅くなる」表現のほうが合っているということになる。

このような場合、日本語は状態表現のほうがしっくりすることが多い。

教室では、こういう理屈を抜きにして、ただ表現として「○○が遅れて/遅くなって申し訳ありません」という形で覚えさせるのがよさそうだ。

助けてくれた

LINE乗っ取り犯の「整理日本語言.txt」に見る「母語の干渉」では、「手伝う」について書いた。今回は「助ける」である。

「助けてくださってありがとう」と言われると、何か君はピンチにでも陥っていたのか、と問いたくなる。確かにヘルプはした。helpを辞書で見れば確かに「助ける」という言葉が出てくる。あるいは、確かに「帮助」したと思う。

でも、君を「助ける」ほどのことはしていないのだ。

一々「助けて」とは言わない。言わないが、その気持ちを伝えたいときは、「大変お世話になりました」という言い方がある。そもそも、「~てくださってありがとう」の形には素直でないニュアンスが含まれる。「~ていただいてありがとうございました」ならわかる。「参加していただいて(ご参加いただいて)ありがとうございました」はOK。「参加してくださってありがとうございました」だと、「前々から参加に乗り気じゃなかったのに、前言を翻して参加してくださってありがとう」というような含みが出てきてしまう。その理由については稿を改めたいが、「助けてくださってありがとうございました」より「いろいろお骨折りいただきましてありがとうございました」の方が自然であることは理解されよう。

先生にいろいろやってもらったので感謝の意を伝えたいときには、母語の形を翻訳して「助けて」表現を使うのではなく、「大変お世話になり、ありがとうございました」の形を覚えて使ってもらうのがいいように思う。

*1:ここでは、たとえば渋滞学のコンテクストで言うような、「登り坂では自然と自動車のスピードが遅くなる」=「減速する」の意味の「遅くなる」という意味ではない。年賀状を出すことが期日に遅れた、というときの「年賀状のお返事が遅くなりまして」という形に含まれる「遅くなる」である。